第24話 鬱なんて、迎え撃って撃ちまくって打ち勝って、討伐して移り変わる景色を見ながら肉を喰らってやればいい
こんにちは
今回も
前回前説の続きになります
今
考えてみると
あの時
何かがグラスから溢れたんだと思う
もちろん
食材に問題があったわけではない
調理道具に問題があったわけでもない
しかも
その後しばらくは何事もなく
自分の中では
たまたま体調が悪かったんだろう
と思うようになった
あれから数ヶ月後
西新宿で有名な行列店
海老を使ったラーメン屋に行った
めちゃくちゃ美味いと思いながら
カウンターに置いてある
海老油たるものをガンガン入れ
食べてる時に
ん?
舌が痺れるような、、、
熱いから火傷したかな
と思いながら
気にせず食べ
店を出て少しして
おかしいぞ
と
急いで帰り
やっぱり顔が腫れ湿疹が出た
幸い
嘔吐したり倒れたりはなかったが
ここから
有名なカレー屋行った時
煮干で有名なラーメン屋に行った時
同じ症状が出た
なんなら
病院で
バンコマイシンという抗生剤を点滴した時にもなったし
最近
横浜でラーメンを食べた時にも
久々に軽く出た
いかんせん
ジャンルがバラバラ過ぎて
いまだに原因がわかってない
海老かと思えばナポリタンには入ってない
スパイスかと思えばラーメンは関係ない
魚介かと思えば、刺身や寿司は全然大丈夫
抗生剤にいたっては
もはや意味不明
なんなんだろな
何が溢れたんだぁぁぁぁーーーーー!!!!
もしかして、、、
僕の
この溢れんばかりの魅力が
とうとう溢れ出てしまったのか、、、、
、、、
、、、
、、、
はじまります
横浜
3月25日(水)
この日は
横浜に行った
以前にも書いたが
横浜は第2の地元だと思っている
横浜といえば
横浜県と言われるほど
人口が多い
全国でも有名な街だ
正直に言おう
あたし
ちょっと見栄張った!!!
第2の地元は
どっちかっていうと
横浜の関内っていう駅近辺だ
まぁ
でも
僕が言える立場でもないが
この辺りこそが
The横浜だと
勝手に思っている
海や高層ビル街も近く
有名なショッピングエリアや中華街
横浜スタジアムなど
観光スポットも近い
その反面
横丁や
昔ながらの繁華街やドヤ街
風俗街
風俗街、、、
、、、風俗街
そう
黄金町にいたっては
昔
ちょんの間
という、、、
、、、
、、、
、、、やめておこう
ここも
新宿歌舞伎町も
欲望の街
だと思う
人間の欲求を満たすものは何でもあるんじゃないか
というくらい
なんとも人間らしい街じゃないか
ただ
新宿は
様々な地方や国から集まっているのに対し
横浜は基本的に地元の人間達で成り立っている
横浜の人達って
地元意識が強い
横浜を心から愛してる人達が多い
なんとも良い街じゃないか
僕の第1の地元の秦野も
秦野を心から愛してる人達が多い
そういうのって
よくわからないが
スゲェ好きだ
暗黒時代
アパレル時代
横浜の店舗に数年勤め
関内をホームグラウンドに
ライブを10年近く演り
ライブハウスでもアルバイトし
結婚し
子供が産まれ
友達のライブを見に行く時以外
関内には行かなくなった
2人目の子供が産まれ
アパレル業の給料じゃやっていけなくなり
たしか35歳くらいだったか
転職せざるをえない状況になった
この辺の時代は
正直
思い出したくない
簡単に言えば
鬱になった
鬱になった友人を数人見てきた経験から
自分で理解できるだけマシだったし
初期段階で病院行ったら
今度は薬に依存したり
おかしくなる可能性が高いっていうのは
自分の性格上
なんとなくわかってたから行かなかった
ずっと一緒に戦ってきた楽器も全て売った
それがバンドを裏切った気がして
鬱なのもあり
バンド仲間と連絡を取るのをやめた
10年以上やってきたアパレル業で
手に入れた服やアクセサリーも
売れるものはほとんど売った
転職しなきゃと
子供が大好きなのもあり
保育園を作る業種や障害児関係にいこうと
10社くらい連続で落ちた
まぁ、後から思えば
その仕事したことない30半ばのおっさんを雇う会社なんてあるはずないのだが
その時はそれが見えなくなってたのと
受けても落ちる
受けても落ちる
そして鬱状態
負の連鎖がヤバかった
この時は自分の人生で一番辛かったなー
正直
闘病生活よりも全然辛かった
子供達がいなかったら
間違いなく自殺してたと思う
あぁ!!
暗い終わり方になっちゃった、、、、
、、、
、、、
、、、ま
たまにはいっか(はーと)
つづく